
犬にまつわることわざは数多くあり、すぐ思いつくところでは「犬も歩けば棒にあたる」、「犬猿の仲」、「飼い犬に手を噛まれる」などがあります。
ことわざが多いという事はそれだけ私達の生活の中に犬の存在が大きいという意味ですよね。
犬にまつわることわざは日本語だけでなく、海外でもその土地の文化に関係したことわざが多数あります。
今回は、犬にまつわることわざ「飼い犬に手を噛まれる」を時代背景から考察してみました。
「飼い犬に手を噛まれる」の今と昔
このことわざの本来の意味は、自身が目を掛け大切に接してきた相手から思いもよらぬ裏切りや反抗にあうという意味です。
相手を批判する意味合いが強く含まれています。
「飼い犬に手を噛まれる」ことわざが使われるようになった時代背景は明確ではありませんが、仮に江戸後期の平和な時代だとすると、当時は日本犬しかいない時代です。
テレビドラマや映画では、江戸城でマルチーズっぽい犬がペットとして飼われていた演出がありますが、あれは僅かに残っている絵巻物や掛け軸に描かれている犬を、「たぶん」的な見解で演出しているのでしょう。
鎖国時代で基本的に輸出入をしていなかった江戸時代に、日本犬以外の犬を庶民が飼えるわけありませんもんね。
江戸では純粋な日本犬は少なかった?
日本犬と言えば、柴犬、紀州犬、秋田犬、土佐犬等、地域に因んだ名前がついている犬が多いですが、おそらく江戸には、純粋な柴犬や秋田犬というのは少なかったと思います。
当時はまだ “ 犬の去勢 ” という概念はなかったでしょうから、江戸にはいわゆる「雑種」が多くいて、放し飼いにされている犬や、畑や荷物を荒らす狂暴な野犬も多くいたと想像します。
そんな時代に、飼い主はどうやって犬を番犬として手名付けたのか?
私にとって、ここが今回のミステリーポイントです(笑)
日本犬は飼い主に忠実
本来「日本犬」は飼い主に忠実で、「番犬」に相応しい気性や性格が多いと言われます。
家や飼い主を危険から守り、飼い主以外の人間に尾を振る事さえないほどに、当時の「番犬」は日本犬本来の特性が今よりも強く出ていたのではないでしょうか。
そもそも、江戸時代に「番犬」を飼えるのは、裕福な家だったはずです。
長屋住まいで「着の身着のまま食うのがやっと」な家庭が、残飯を犬に食べさせられる余裕はなかったでしょう。
こう考えると、江戸時代の裕福な家庭で飼われていた犬は、番犬としてだけではなく、今の「ペット」に近い存在だったかもしれせんね。可愛がり、「お手」の芸も仕込んでいたかも?
すっかり手名付けに成功したと思っていた飼い主が、ある日、ガブっと犬に噛まれてしまった。このことわざのシチュエーション的にはこんなところでしょうか。
さんざん可愛がってやったのに噛みやがって!
二度とお前に飯は食わせねぇ、べらんめぇチキショウ!
飼い主の心情的にはこうですよね。
時代背景が変わっているとしても、私だったらこう思います。
「さんざん可愛がってやったのに」
「さんざん世話してやったのに」
こういう思いをした飼い主が当時たくさんいて、「犬っていうのはいくら可愛がっても本性をだすものだ」という認識が広まり、犬を飼ったことがない庶民にまで語り告げられ、ことわざとなって今に伝わったのではないでしょうか。
動物にまつわることわざは多く、どうしてそのことわざができたのか、できた時代はいつだったのかを考えると、人間と動物の関わりの変化がみえてきて面白いです。
特に「犬」と「猫」に関しては面白いので、また機会があったら考察してみたいと思います。